山中俊治ディレクション「骨」展

kta6662009-09-01

  • 場所 21_21 DESIGN SIGHT(東京ミッドタウン内)
  • 会期 2009.5.29~2009.8.30/11:00~20:00(火曜日休館)
  • 入場料 一般1000円 大学生800円 中高生500円 小学生以下無料

夏休みにやっていてこどもがたくさんいました。
見たり聞いたり触ったりができる作品の多い、
こどもも楽しい展覧会。


ものの動きや働きは骨によって制御される、という観点から
デザインの機能を露にする「骨」に着目した展覧会。


デザインも装飾も「目に見える形を考える」という点では同じだけれど、
機能と関係のない、もともとのモノにつけたしていくのが装飾で、
それはデザインとしては御法度、という了解がある。
ハサミならハサミ、車なら車、住宅なら住宅の
もともとの機能をいかに満たすか、を考えるのがデザインで、
その機能をコントロールする骨(構造)が重要という考え。
その機能のつくりかた、骨のつくりかたによって
最終的にカタチが異なり、「洗練されたデザイン」とか言われるようになる。


それで、この展覧会のいいところは、
「もの働きのルールを解明する」というだけじゃなくて、
そのデザインされたモノの「目的」と「印象」の関係性を
明らかにしている点にある。


例えば、「WAHHA GO GO」という明和電機の作品。
これは「笑うメカをつくる」という目的で、
手動でふいごに空気をおくり、
カムでつくられた人工声帯を通して口の開閉と連動して笑い声がでる。
アコーディオンのような肺が前後にふくらんだりしぼんだりする事で
人間が腹を抱えて笑う仕草を機械的に再現している。
メタリックな物体が奇妙な声をあげて笑っているその様は
シンプルな構成のモノがまるで生きているかのようで
不気味だけどちょっとカワイイ。


この声をだす空気の流れは
ふいごではなくてファンでもよかったのだろうけれど、
「笑う」という行為を声だけではなくて
動きとしてもそれっぽくつくることで面白いものになっている。
「笑うを機械的につくる」という意味においては
笑い袋と目的は同じだけれど
仕草まで再現するという目的によってデザインが変わる。
それが骨のかたちを決定する要因となる。
その構造が、機械が笑うことの「不気味さ」の印象をつくっている。


最終日に行ったら
ディレクターの山中俊治さんや玉屋庄兵衛さん、
明和電機のスタッフの方がいて、
少し話を聞くことができてラッキーでした。

THE DARK KNIGHT

kta6662009-07-25

人気アメコミ「バットマン」をCGを駆使して実写化された
バットマン・ビギンズ」の続編。
監督は「メメント」で有名なクリストファー・ノーラン
2時間半という長編だけれど、途中でダレることもなく
あっという間に見ることができた。
これぞエンターテイメントという感じ。
子供がはしゃぐようなつくり方ではないけれど。


まず、
バットマンの敵役であるジョーカーがとてもかっこいい。
正直、バットマンのシーンよりも
このジョーカーが出ているシーンの方が刺激的で印象深い。
怪演を見せたヒース・レジャーはすごい。
あくまでスタイリッシュではなく、オタオタと鈍い動きで歩くシーンなどもあるが、
そこに愛嬌を感じるから不思議だ。
アカデミー賞をはじめ、世界中の助演男優賞を総なめ。
しかし、彼はこの映画の完成を見ることなく他界してしまった。


バットマンの正義はいわゆる「勧善懲悪」。
それに対してジョーカーは、独り破壊と秩序の崩壊を望む孤高のワルモノ。
また、2時間半という長時間でも観られたのは
ハービー(トゥーフェイス)という、これまた面白い脇役があったからかもしれない。
アクションは、
キレイなヒーローだけじゃなく、悪者にも魅力を与えると面白くなるようだ。
綺麗事ばかり言っててもつまんない、とみんな思ってるのかもしれない。

いわゆるアメコミ的、
バットマン的アクションは控えめだったかもしれないけれど、
もうそういう映像美だけなのは正直飽きてて、
この作品はストーリーやキャラ、話の展開などとの
バランスがとても良く、人に勧めやすい作品だと思いました。

ヴァンダの部屋

kta6662009-05-09

ポルトガルの気鋭の映画監督と言われている
ペドロ・コスタリスボンの移民街に2年間滞在し、
120時間撮影したフィルムを3時間に凝縮したドキュメンタリー。
ヴァンダというクスリ漬けの女性をそのフィルムの中心として、
出口の見えない退廃した移民街の時間を撮る。


物語にほとんど展開はなく、
断片的なシーンが続く。


ヴァンダがヘロインでゴホゴホと咳をする。
行商が家々を訪れてキャベツを売る。
住む人のいなくなった家が取り壊されてゆく。
ゴホゴホと咳をする。痰を吐く。
注射針を洗う。
絡まった糸を姉妹でほどいている。
肉をさばいている。
ゴホゴホと咳をする。
ショベルカーが廃墟を解体してゆく。


それぞれが物語として意味を示すのではなく、
ただただ街に起きる出来事を映し出す。
しかし、そこに流れる時間は
圧倒的に僕たちにその状況を見せつける。


田中功起にも似ているような。


ほぼすべてのシーンが
フィックスというカメラを固定した状態で撮られており、
瓦礫同然のコンクリートの街並みを
光と影のグラデーションとともに映し出す。
その情景がとても美しい。
退廃的な風景に魅入られてしまう。

吉岡徳仁ディレクション「セカンド・ネイチャー」展

kta6662009-01-21

  • 場所 21_21 DESIGN SIGHT(東京ミッドタウン内)
  • 会期 2008.10.17~2009.1.18/11:00~20:00(火曜日休館)
  • 入場料 一般1000円 大学生800円 中高生500円 小学生以下無料

21_21DESIGNSIGHTが企画する4回目の展覧会。
「記憶から生み出される第2の自然」がテーマ。
近年の吉岡徳仁の活動を象徴するようなテーマで
吉岡以外に安部典子や東信、森山開次中川幸夫などが参加。
かつて人間は科学をもって自然を蹂躙したが、
それを経て現在、人間は自然に何を見い出し、
発展を築いた科学はどのような位置づけとなるのか。


メインは吉岡の「CLOUDS」と、
(無数のファイバーをつり下げた雲のようなインスタレーション)
「ヴィーナス―結晶の椅子」だ。
室内に、雲のようなものがかかっていて
その下を人が行き交う光景はなんだか不思議だった。
もっと天井高のあるところで、
つり下げられた結び目が見えなかったらもっと良かったのに。
安部典子の「地のかけらVol.4-7」も面白かった。
等高線からつくる地形はよく見たことがあったけれど、
彫り込まれた形が面白く、光の陰影が綺麗にあらわれていた。


自然のひとつひとつの生命とその意志は
集まって大きなうねりとなって顕れる。
何もない砂漠の地平線や水しぶきをあげる滝、深い海の闇。
なんでそれらを見て感動するのか。
人間の思考など入り込む隙のない歴史の積み重ねや、
ただひたすらに生きる動物たちの生と死。
いろんな言葉で語ることはできるけれど
それは圧倒的な他者のままだ。


表層的な自然の模倣ではなく、
自然界を静かに統率する構造を理解し、その力を表現すること。
そうすることによって、他者だった自然とのつきあい方がわかってくるんじゃないか。
この展覧会は未来の、そんなことを期待させてくれました。

ダウン・バイ・ロー

kta6662008-10-08

主人公のザックとジャックは
今は日陰者になってしまった元DJとポン引きという
社会的に言えば「ダメ男」。
そんな二人はそれぞれうまい話にハメられて
囚人になってしまう。
同室になった二人のもとに
ロベルトという一風変わったイタリア人が入ってくる。


ロードムービーと称されているように
物語はあるのだけれど、どこか素朴な感じ。
物語にありがちな思想の発露や劇的な展開はない。
登場人物たちにとっては劇的な展開かもしれないけれど
少なくとも映画としてそういう風には描かれていない。
一歩引いた視点で描かれていて、コントの様にも見える。
めちゃくちゃよく出来たコント。
あまり褒めているようではないかもしれないけれど。
トム・ウェイツの曲も良い。


素朴でありながら、その独特の「間」がとても面白い。
それによって日常と非日常の関係が浮き彫りになっているように感じる。


普通の生活の中で、
「気だるさ」を感じるとき
「苛立ち」を感じるとき
「幸せ」を感じるとき。
それらを静かに人間味あふれる演出でつないでいく。
笑えて、さらに感動できる作品でした。

ベルリン・天使の詩

kta6662008-09-21

この映画を見た人が口をそろえて「美しい」と言う。
それじゃあどんなものかと思って観てみると本当に美しい。
あまりにも絶賛される作品なので
皮肉のひとつも言いたくなってしまうけれど
残念ながらぐうの音もでない。傑作。


ダミエルは長い間人間の歴史をみてきた天使。
天使たちは人間の心の声を聞くことが出来る。
ある日ダミエルは、
サーカスの空中ブランコを練習する女性、マリオンの心の声を聞く。
次第にマリオンに心惹かれ始め、人間になりたいと思うようになる。


いろんな人たちが同時にそれぞれの思いを抱えて生きている。
天使はそれを漂いながら観察する。
俯瞰的なその視点が、
僕たちが普段当たり前に感じている事実を浮き彫りにしている。
ひとりひとりが確実に世界に参加している。
その素朴な喜び。


中でもベルリン図書館のシーンは印象的。
膨大な量の本の中から一冊を手に取って読む時、
ここではないどこかの国のことに思いを馳せる。
自分の存在が相対化されるような一瞬の感覚を思い起こさせる。
谷川俊太郎の「朝のリレー」を思い出しました。

the Virgin Suicides

kta6662008-09-01

ソフィア・コッポラ初監督作品。
1970年代のミシガン州が舞台。
美しい五人姉妹を中心に、
彼女たちに見惚れる少年たちの視点で物語は進む。


子を溺愛する両親に囲まれた一見幸せそうなこの家庭で、
末っ子セシリアが自殺を図る。
一命はとりとめたのだが、
そこから両親の愛は過剰なものになっていく。


女性監督だからか、
場面の印象のつけかたが軽やか。
構図も小物の使い方も。


ダンスパーティのシーンとその翌朝のシーンが
この映画を象徴している。
夜のライトが映し出す華やかで耽美な風景と
朝の拡散された日光の、すべてを露にしてしまう冷めた風景。
この対比が、儚い美しさの姉妹の存在を表している。


だけど、
作者が話したい物語が整理され過ぎてて
全編を通してナルシシズムを感じてしまった。
この二つのシーンを撮りたいがために
物語を進めている感じがしたのは少し残念でした。