広島平和記念資料館

kta6662007-10-02

  • 丹下健三計画研究室(設計)
  • 1955年竣工
  • 新建築1954年1月号・1949年10月号などに関連記事掲載

東京都庁舎第一本庁舎や東京カテドラル聖マリア大聖堂代々木第一体育館など
戦後日本を代表する大建築家・丹下健三による平和記念資料館。
毎年8月になると大勢の人々が集まり、ニュースでもよく報道されています。


終戦直後に戦災復興院の委嘱を受け、丹下は広島担当を申し出る。
復興都市計画の立案や世界平和記念聖堂を計画し、
次いでこの広島平和記念資料館コンペに応募、
一位を獲得する。


大きな特徴として、
景観上の軸線・ピロティ・スケールが挙げられる。
景観上の軸線とは、この資料館と慰霊碑、原爆ドームをつなぐ軸線である。
100m道路と直行する角度でこれらの三つをつないでいる。
これがコンペで一位を獲得した1つの要因でもあったようだ。
その軸線状の視線を通すために、6m以上の高さのピロティを設けている。
このピロティについては、コルビュジェが設計した集合住宅
「ユニテ・ダビダシオン」を参考にしたことを丹下自身が語っている。
コルビュジェも提唱していた「社会的人間の尺度」に影響されていたようだ。
ヒューマンスケールを越えた巨大な建築物は
当時では珍しく、新しいものだっただろう。
焦土と化した広島の光景を目の当たりにして、
新しい時代を築いてゆく精力と意志を示したかったのかもしれない。


原爆ドームの裏には広島市民球場があり、
大きな歓声の裏側でこの辺りはひっそりとしていました。
周りの街が目紛しく変化してゆく中で、
50年以上も同じメッセージを唱い続けているこの場所からは
歴史の重みを感じざるを得ず、ひとりもの思いに耽っていました。